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2021年8月27日

復活のご挨拶

この拙いブログ、6年の空白期間の後の再開である。コロナ禍が予想に反して一年半も継続してしまって在宅期間が長くなっていることもあって、徒然なるままに駄文を書くことを再開する。

世の中がコロナのせいで大きく変わってしまった。あれだけ頻繁に海外を訪れていたのに2020年1月のミャンマーとタイの訪問以降は海外に行くことが出来ていない。

その私の愛すミャンマーは残念なことに昔へ後戻りしてしまった。民主化が進んだミャンマーとは2014年からの関わりなのだが、再びアウンサンスーチーさんが解放され民主化が訪れることを願うばかりである。あの美しいバガンやマンダレーヒル、インレー湖。そして多くの心優しい人々の無事を祈るばかりである。最近は報道がめっきりなくなってしまったが、日本人はもっと関心を持ち、日本政府ももっと積極的にミャンマー民主化への後押しをすべきだ。

そういえば来たるべき海外訪問のために、ワクチンパスポートなるものを市役所で貰ってきた。しかしこのワクチンパスポートが有効なのはイタリアくらいなものらしい。あまり使えないようだ。しかもそのパスポートはA4のモノクロームの紙一枚でなんとも心もとないものである。しかもこの証明書には有効期限が書いていない。そして厚生労働大臣の発行するものであるのだが、サインやシールが無いから非常に不安である。







2015年8月8日

世界の小澤征爾のベートーヴェン  ’Seiji Ozawa conducts Beethoven’


小澤 征爾39歳のベートーヴェン。



1,974年2月。最も寒い欧州で録音された第九である。オランダの名門、PHILIPSへの初レコーディング。これがなんとも熱い第九である。オケはニューフィルハーモニア管。

私としては、ジョージ・セル、ギュンター・ヴァントに並ぶ同曲の愛聴盤である。



小澤のドイツ系の音楽が一般的にあまり評判を得ないことには全く納得がゆかないのである。

あのベルリンフィルの実況のベートーヴェンの7番は是非CD化をして欲しいし、シカゴ響との若き日の5番(RCA)も良い。

米国テラーク録音のルドルフ・ゼルキンとのベートーヴェンのコンチェルト、とりわけ2番は素晴らしいと思う。




独奥系はベートーヴェン以外ではR.シュトラウスやマーラー、ブラームス、バッハなどにも私の愛す素晴らしい演奏がある。それはまた次の機会に。















2015年6月19日

マトルズ ダンス


今日のサントリーホールでの安江佐和子のコンサートの掉尾を飾ったこの曲の演奏!
お昼前の一時間のコンサートにしてはあまりにも凄すぎる、お腹いっぱいでランチはしばらくしてから。

今家に帰り彼女のCDを聞き直している。この曲、ピアノは今日と同じ稲垣聡。しかし印象は随分違う。CDは非常に整った演奏。今日はまるでフルオケによる春の祭典を聴くような迫力!

私はCDは別としても2008年のオペラシティのリサイタル、2011年上野の森コンサート、そして今日のコンサートと多分少なくともこの曲の実演は三回経験しているがいつも最高のパフォーマンスであることに変わりない。いつでもベストを目指して演奏してくれるから毎回感動を得ることとなる。

それから今日のコンサートは短い時間のなかで、天羽明恵との自作世界初演もありの盛りだくさんの内容、ピアノ、フルート、ソプラノ、共演者との呼吸もピタリ。そして演奏のみならず共演者たちとの「しゃべり」の呼吸も同様。軽妙洒脱で楽しいひとときでもあった。





2014年8月23日

聖地 バガン

11世紀から13世紀にかけて建てられた寺院、仏塔の数々。1000年前の歴史が時空を超えてわれわれに迫る。歴史とは何か、宗教とは何か。
ミャンマーの首都ネピドーから陸路4時間かけて古都バガンを訪れた。
 
何よりも大地に静かに配置された古い建築物が青い大空とコントラストを醸成し独特の情趣を感じさせる。



                                           


 















悠久の大地に陽が落ちるのをしばし見守る

2014年4月27日

栄華を極めた古き良き時代のメサイア

いまどきはなかなか古楽演奏以外のヘンデルのメサイアの演奏、録音にはお目にかかれない。

久々にオットー・クレンペラーのCDを聴いてみる。たっぷり取られたテンポで淡々と音楽が流れる。しかも高貴な佇まいで。この曲にはアンマッチと思われるシュワルツコップの堂々たるソプラノもクレンペラーの荘厳な演奏には合っている。私が古楽で愛聴するクリスティやホグウッドと比べるとヘンデルの音楽はこんなに巨大な音楽であって良いのかと思うほどである。滔々と流れる長大なメサイアだ。また見逃してはならないのが合唱の上手さである。ウィルヘルム・ピッツ指揮するフィルハーモニア合唱団の素晴らしいハーモニーが長大な演奏を支えている。

しかし今がレコード会社不遇の時代とはいえ、まさか消滅するとは思わなかった。老舗のEMIが無くなってしまうとは。このメサイアは1964年の録音、プロデュ―サー、ウォルター・レッグ&ピーター・アンドリーと記されている。EMIの黄金時代だ。もう半世紀前の録音だよ。思うにこのように時間をかけた立派な、しかも他に比較すべきものがないような素晴らしい録音が存在してしまうと、ヘンデルの時代の楽器がどうだとかピッチがどうだかという問題は極めて些末な問題であって、最新機材でちゃらちゃらした演奏を作り続けてもそれは極めて無駄な作業に思われる。

いやだからEMIは無くなったのかもしれない。メサイアに限らず、この50年間に50年前を凌ぐ録音をどれだけ創れたのか?録音技術はどれだけ進歩したのか?たしかにノイズは無くなったが、私には、このところのEMIの寝ぼけた音より60年代70年代前半の音のほうがが良かったように思われる。