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2010年6月13日

生誕150年にマーラーを聴く。


生誕150年だそうである。
以前そのマーラーの作品の中で最も好きな曲ということで、3番のシンフォニーについて書いた。せっかく記念の年であるから、マーラーについてはもっといろいろ書いてみようと思う。

作曲家の故柴田南雄は著書のなかで未完ながら交響曲第9番をマーラーの最高傑作としている。そのことに私も異論は無い。それで今回は第9番について。

思い出されるのは、かつてハンガリーの指揮者I.F.がN響を指揮した時のライブ。あまり盛り上がらない演奏であった。第1楽章では指揮者が振り間違えてしまい、音楽が瞬間止まった場面があった。

私の経験ではこのような「事故」は2度目で、それ以前では、ドレスデンフィルの来日時。今は無き新宿厚生年金会館でのこと。指揮はギュンター・へルビッヒ。ピアノソロは指揮者夫人。(名前失念)モーツァルトの20番の協奏曲簿1楽章でピアノが間違え音楽が止まってしまった。びっくりしたな、あれも。

一般的にマーラーの大掛かりなオーケストレーションとその輝かしい演奏効果、音楽の持つ多様性、深みは聴衆を興奮の坩堝に誘う。その結果、曲が終わる時の聴衆の反応は凄い。ところがそのN響のサントリーホールの定期公演はまったく盛り上がらなかった。

マーラーの曲としては未完成であり、しかも長大な アダージョで静かに終わるとしても、この長い、そして深い音楽のあとに訪れるのは「感動」だろう。いかに大曲であろうとも演奏の良し悪しでこうも違うのか・・。怖い。

売り出し中の名指揮者、日本最高(?)のオケ、最高のホール。「絶対感激するはず」の期待は完全に裏切られた。私の拘束された時間、チケット代と交通費を返して欲しい。

話がそれたが、この曲の長い第1楽章と終楽章はマーラーが書いた最も深い音楽ではないだろうか。とくに第1楽章は大変独創的で素晴らしい。

バーンスタインがベルリンフィルを指揮したライブ録音が凄みのある演奏である。しかし日常的に聴く気持ちにはならない。愛聴盤は別。

劇的に盛り上げる必要も無いほどにこの曲は素晴らしく良くできている。この長大なアダージョに何を付け足せばよいのか?ハイティンク指揮コンセルとへボウ管の録音が美しくきれいな音楽を聴かせる。




注) グスタフ・マーラー 1860年の7月7日生まれ。

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