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2014年4月27日

栄華を極めた古き良き時代のメサイア

いまどきはなかなか古楽演奏以外のヘンデルのメサイアの演奏、録音にはお目にかかれない。

久々にオットー・クレンペラーのCDを聴いてみる。たっぷり取られたテンポで淡々と音楽が流れる。しかも高貴な佇まいで。この曲にはアンマッチと思われるシュワルツコップの堂々たるソプラノもクレンペラーの荘厳な演奏には合っている。私が古楽で愛聴するクリスティやホグウッドと比べるとヘンデルの音楽はこんなに巨大な音楽であって良いのかと思うほどである。滔々と流れる長大なメサイアだ。また見逃してはならないのが合唱の上手さである。ウィルヘルム・ピッツ指揮するフィルハーモニア合唱団の素晴らしいハーモニーが長大な演奏を支えている。

しかし今がレコード会社不遇の時代とはいえ、まさか消滅するとは思わなかった。老舗のEMIが無くなってしまうとは。このメサイアは1964年の録音、プロデュ―サー、ウォルター・レッグ&ピーター・アンドリーと記されている。EMIの黄金時代だ。もう半世紀前の録音だよ。思うにこのように時間をかけた立派な、しかも他に比較すべきものがないような素晴らしい録音が存在してしまうと、ヘンデルの時代の楽器がどうだとかピッチがどうだかという問題は極めて些末な問題であって、最新機材でちゃらちゃらした演奏を作り続けてもそれは極めて無駄な作業に思われる。

いやだからEMIは無くなったのかもしれない。メサイアに限らず、この50年間に50年前を凌ぐ録音をどれだけ創れたのか?録音技術はどれだけ進歩したのか?たしかにノイズは無くなったが、私には、このところのEMIの寝ぼけた音より60年代70年代前半の音のほうがが良かったように思われる。






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