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2010年7月6日

トルコの天才ピアニスト-”鬼才、天才、ファジル・サイ!” ファジル・サイ ピアノリサイタル

このタイトルは今夜、金沢市アート・ホールでのサイのコンサートのチラシの見出しである。

これだけくどい形容がサイのコンサートの集客に必要であったのかという疑問はさて置いて、昨日北國新聞社の中にあるこの一連の「かなざわ国際音楽祭2010」を主催しているケィ・シー・エスという若干小生が関与している会社に行かなければ、そしてそこのとても親切なO女史に出会わなければ、ひょっとするとファジル・サイを聴く機会は一生無かったかもしれない。

サイの評判はかなり前から聞いていたのだが、トルコ人のピアニストがMOZARTのトルコ行進曲で評判をとったとか、春の祭典のピアノ独奏でオーケストラに匹敵する演奏を卓抜した超絶技巧とダイナミックスで再現したとか、ドイツ精神性(どんなもの?)とは対極にある中国上海雑技団的なものを勝手にイメージし、偏見だけであえて無視していた。

最近、話題のヤナーチェック(村上春樹の「1Q84」に登場するのは、オーケストラ曲の「シンフォ二エッタ」)のソナタはほんとうに久しぶりに聴いた。作曲者と同郷のルドルフ・フィルスクニーのCDでしか聴いたことは無かったが、ウォーミングアップに最適であったし、サイの演奏を聴いた瞬間、偏見は消えた。なんと詩的で情感のこもった演奏をする人なのかと。

次のベートーベンの「テンペスト」は今日のプログラムのなかで幾分違う表現もありかなという程度の感想は持ったものの中期のソナタの表現としては新鮮でオドロキのテンペスト。

前半最後はプロコフィエフの戦争ソナタ。最も有名な7番。この曲は30数年前、東京の虎ノ門ホールで聴いたウラディミール・クライネフというソ連(当時)のピアニストの演奏を思い出した。ピアノが壊れるかと思うほどの強打と足踏み。まるで拳闘家か小柄なプロレスラーといった風情の、非情で暴力的な演奏で、まあそれはそれで堪能した。でも今夜のサイはテクニックだけでは無く、とびきりの音楽性を持ったプロコフィエフ。最高の演奏。

だが今夜の白眉は最後の展覧会の絵。誰かが言っていたが、「サイが一人でオーケストラを表現してしまった。」という意味がわかった。 ・・・失礼な言い方するとOEKが本気出してもかなわないと思った。マジで・・・。

アンコールは2曲。一曲目は初めて聴く曲。おそらくサイの自作だと思う。クラシックの現代曲のイメージは皆無。一部楽器(ピアノ)の内部のあのフェルトのところを押さえて鍵盤をたたく奏法を取り入れてはいるものの、トルコ的。トルコ的?トルコ行進曲や後宮からの誘拐でもないし、庄野 真代でもないし、そう「イスタンブール特急」という暗い陰湿で凄い映画があったが、その映画にあるトルコのイメージであった。アンコール2曲目はどこかで聴いた事のあるJAZZ。キース・ジャレット的だがキースではない。?サイの曲??・・しかしうっとり。



ともかく素晴らしい体験を誰かにありがとうと言いたい。トルコの天才ピアニストを聴くべし!

(続く)







当夜のプログラム

ヤナーチェック  ピアノ・ソナタ変ホ長調 「1905年10月1日街頭にて」

ベートーヴェン  ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調 作品31-2 「テンペスト」

プロコフィエフ  ピアノ・ソナタ 第7番 変ロ長調 作品83

休憩

ムソルグスキー 組曲「展覧会の絵」

2 件のコメント:

  1. こういう時の後のお酒はまた格別でしたでしょうね~

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  2. まったくそのとおりでして・・・。

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