現代と隔絶された都市。ヴェネチア。
この町に辿り着いた時、頭の中でグスタフ・マーラーの5番目のシンフォニーの第4楽章が鳴り始める。
ルキノ・ヴィスコンティの映画「ヴェニスに死す」にあって、このアダージェットの存在は大きすぎる。この曲しかありえないというところまでヴィスコンティの映像とマーラーの音楽は結びついている。
トーマス・マン描くところの作家グスタフ・フォン・アッシェンバッハはすなわちマンと親交のあったマーラーをモデルとしており、マンの小説の中では作家として描かれていた主人公が、映画のなかでヴィスコンティによって作曲家=マーラーに戻されている。そしてそのマーラー自身の音楽が映画のなかで指揮者にして作曲家である本人を思い出させ、また主人公アッシェンバッハのタジオへの憧憬の念を際立たせる役目も果たすのである。
またマーラーの音楽は、たとえばこの映画のみならず、ヴィスコンティの創った「ルートビッヒ」や「地獄に落ちた勇者ども」などの、壮麗で人工的で甘美で退廃的でしかし巨大な物語りに重なる。映画と音楽の違いはあるが、ワーグナーとマーラーこそはヴィスコンティの作品と同系統の芸術ということが出来ると思う。
さて、この映画のおかげで、アダージェットが有名になりすぎてしまった。しかし、それを措いても第5交響曲は親しみやすく、聴き栄えのする良く出来た曲である。とくに私が愛してやまないのは第3楽章。長大な スケルツォ楽章だ。様々な感情がめくるめく登場。作りは全く違うがモーツァルトのオペラやピアノコンチェルトと同じであると私は思う。
演奏である。多分異論も多いとおもうが、9番同様この曲もやり過ぎず、品を保ちながら演奏すべきであると考える。第9番に続きまたベルナルド・ハイティンク指揮のコンセルトへボウに登場願う。ハイティンクは後に、ベルリン・フィルとも録音をしてるが、表現に差異は無い。しかし聴き較べるとベルリン・フィルも素晴らしいが、コンセルトへボウが若干良いように思う。美しさでコンセルトへボウが上だと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿