中学1年のとき、私の担任の国語の教師は夏休みにパール・バックの「大地」を読むことを生徒たちに勧めた。だが私はこの米国人女流作家による中国が舞台の中国人が登場する小説を結局読まなかった。岩波文庫4巻は長すぎると思ったから。
「中国」と「大地」のイメージはだぶるものがある。あくまでもイメージであるが。欧米でも日本でも中国に対してある種の感慨を持っている。時代の生活様式からその長い歴史を含めて、自分たちとは対極にある文化と歴史ということなのだろうか。そして大地という言葉からは単に物理的に広大な土地ということだけでなく、もっと広範な意味合いにおける、悠久の歴史、そしてその上に成り立つ大きな文化など。またそこにある大きなドラマとかを考えるわけだ。
今回はマーラーの交響曲「大地の歌」。
原題はDas Lied von der Erde。英訳するとThe Song of the Earth 。そして副題として「HansBerthgesの中国の笛によるテノールとアルトとオーケストラのための交響曲」とある。李白、孟浩然、王維の詩をHans Berthgesの独語訳の歌詞を採り入れ作った歌曲。しかし交響曲でもある。
初演者のブルーノ・ワルターの演奏が有名だが、私はそれより、オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団(クリスタ・ルートヴィッヒのメゾ・ソプラノ、フリッツ・ヴンダーリッヒのテナー)が好きである。その悠久の歴史とドラマを感ずることの出来る唯一の演奏と言ったら大袈裟であろうか。
曲自体が大地の悠久、孤独や諦念、美しく永遠なものを歌い上げており、特に長大な終楽章で永遠の告別を表現しているが、クレンぺラーとルートヴィッヒの解釈は素晴らしい。
クレンペラーのEMI録音自体、いつも木管楽器が強めであるが、そしてそれはこの曲でも同様。深く荘厳なオーケストラのなかに木管が浮かびあがる。終楽章「告別」の深い深い表現は、まさしく感動的で永遠なる告別である。
(3番~6番、9番とふれてきましたが、マーラーの交響曲についてはとりあえず今回をもって終了とします。)
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