精緻で巧妙なモーリス・ラヴェルの管弦楽は、やはり現代の最高級のオケで聴きたいと思うのだが、
1959年にあまり精緻ではない、サンソン・フランソワがこれまた精緻ではないアンドレ・クりュイタンス指揮のパリ音楽院管弦楽団とEMIに残した録音を聴いて、セッション録音なのに、かすれ気味のトランペットを筆頭にちょっとあやしいアンサンブル。そして、フランソワの揺れるような、間のとり方などが却って味わい深く、ああいいなと思った。
ラヴェルのピアノコンチェルトは「素敵」な音楽である。洒落ていて、また、冒頭、いきなり鞭の一撃で始まるところは、のっけから「斬新」。第2楽章のアダージョ・アッサイは「ロマンツェ」か。夢見るような懐かしさ、哀調を帯びたメロデイーが泣かせる。この録音、もうちょっと音が良ければと思うところもあるが。
ベルギーの指揮者クリュイタンスは一見紳士然としてまじめそうな印象はあるが、ところがどっこいフランソワに合わせて、緩急自在。フランソワにいたってはもともとアル中で気分屋であり破滅型(!?)JAZZ風であってもJAZZではないラヴェルなのであるが、それはフランソワのテンペラメントがなせる技。揺れながらスイング。(!?)
終楽章はトランペットが急に上手くなり、輝かしい。やれば出来るのに・・。そうか、どこをとっても気分に任せたような演奏なのだ。
ということでここには、なかなか日本人には出来そうにない、いや日本人に限らず今日の人たちには絶対出来そうにない、なんともいえない風雅なラヴェルの演奏がある。
芸術の世界では、技術は最低限は必要なのだが、技術だけでも駄目なのである。そして不健康に由来するものや、ファジーな部分がかもし出すものも大事だということ。もはや今日では「破滅型の芸術家」なる言葉は死語となってしまった。
フランソワのより、もうちょっと精緻で音が良いものということであれば、アルゲリッチの録音がいい。彼女は破滅型では無い。しかし彼女の人生もフランソワのそれと同様に破天荒な部分がある。「野生」とか「本能」という言葉がぴったり。そして二人の共通項は「破天荒」。そして「ラテン」。
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