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2013年1月3日

中国の混沌と日本の混迷

昨年11月下旬から12月にかけ約一週間で中国4都市をまわった。上海、南京、西安、成都の4都市である。どの都市も冬である。特に西安は寒く最高最低が0度前後くらいであった。上海は東京と同じぐらいの寒さか。

さて今回の旅で感じたことは二点。まず、ますます空気が汚くなっていること。昔から航空機で中国大陸に入ると街全体が茶褐色のもやに覆われている事に気付く。今回はどの都市でも太陽がはっきり見えるようことはなかった。そして何とかした方が良いと思ったのだが、しかしかつての日本のことmにも思いをめぐらすことになった。かつてわが国の高度成長期において、大気汚染、河川の水質汚染や光化学スモッグ、排気ガスなどの問題は深刻であった。実際現在は東京の空気も川の水もなかなか綺麗に見える。

見えると書いたのは実際はどうだかわからないからだ。放射能は眼に見えないそうだし、あの原発事故以来んとうに大丈夫なのかということだ。時間と共に記憶が遠ざかるのは止むを得ないとしても、まだあの人類史上稀に見る大惨事から二年と経っていないのだよ。福島の原発は今現在どうなっているのか?新年おめでとうじゃないはずなのだが。

中国の空気が汚いのは大規模かつ急激なる経済大発展と中国では安価な石炭の使用、そして国土の砂漠化である。世界の工場が世界のために煤煙を放出し14億の人民が石炭で暖をとり、多くの人が経済発展の波に乗り便利な車を購入して運転続けているわけである。

文明とは何なのか、経済発展とは何なのかということを改めて問わなければならない。といいながらも、やれ国力だやれ経済再生だと政治は相変わらず大きな何かを置き忘れるのである。





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